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10. ねぷたは流れ、豆の葉は止まれ

 「ねぷた」や「ねぶた」が、その昔、その起源まで、遡っても、現代に残っているのと同じ事をしていたわけではありません。それまでには、仏教の盂蘭盆と結びついたり、偶然、同じ名前だった「ネプ流し」と混じり合ったりしたようです。北国の夏は短く、七夕などとも一緒になる事情もあったのです。その時代時代の民衆の願や流行も、取り入れていったのです。その表面的なものに着目して「ねぷた」の全体や起源に迫ろうとしても、すぐ矛盾を呈することになります。そして、矛盾とは言わず、「よく解らない」と奇怪なエメージだけを残したのです。北国は、単純、素朴、そして明るいということを言いたい。
 これから、北国の「ネプ流し」について話ますが、「ネプ」がアイヌ語であることの裏付けと、アイヌと和人混住の地では、呪術的な宗教はアイヌが先生だったことが解ります。そして「ねぷた」は眠りを戒めたという誤説の元々を目にすることになります。
 ねぷたの囃子言葉が江戸詰藩士、比良野貞彦の「奥民図彙(おうみんずい)」に残されています<子ムタ祭之図―天明8年(1788)>。

 子ムタ祭之図
 七月朔日ヨリ六日ノ夜マテ如図燈籠夥敷町在トモ同シ 大キサ二間三間或四五間ニ作
 リ 大小トモ火ヲ燈シ 笛太鼓ニテハヤシ夜行ヲス声甚カマヒスシ 子ムタハナカレ
 ロマメフハワトゞマレトハヤスナリ
 祢ぶたハながれろ まめの葉ハとゞまれ いやいや(繰り返し<)いやよ 此意不解 尚知ル人ニ可尋
 木守貞曰七夕祭リニ合歓木ノ葉大豆ノ葉ヲ以人身ヲヌクヒ川ヘ流ノコト六月祓ノコト
 シ 合歓木ノ葉ニテ目ヲ拭トキハ睡ヲサマシ 大豆ノ葉ニテ身ヱクフトキハ壮健ニナ
 ルト咒(まじない)ナリ 睡ハ子ムタニテ流シ大豆壮健ニテ止リ 農業出精セント云事也
 一説子ムタト云ハ七夕祭ニテ二星会合シテ歓ト云事合歓木ニナソラヘ云ナリ 又大豆
 ノ葉トゝマレト云事ハ年々カハラスマメヤカニ合逢ト云事ナリ 流レロト云事ハ年ニ一夜ノ契ハ遠ヤウナレトコウインハ銀河ノ水ノ流ルコトク早シ 又クル七夕ニ来リ我家ニトゞマリタへト云事也 シカシナカラ逢テ別ルゝハツラキモノニテ マツ宵ヨリモマサリテイヤナリイヤナリ(繰り返し<)ト云事也
 按ニ此説佳也 其意深シ 古人ノシツ情也
 木守貞ノ説ツマヒラカナリトイヘトモ イヤイヤ(繰り返し<)イヤヨト云ヲ不解 予按スルニコレハ言也言也(繰り返し<)ト云事ニヤ 如此云也ト云コトナルへシ

 「豆の葉は止まれ」と言っていながら、「合歓の木の葉、大豆の葉」を流しています。葉っぱですから、どんなに念じても流れ去った筈です。この「とどまれ」と言った地域が他にもありました。ほぼ同時代に、菅江真澄の著述の「牧の朝露」の項に、寛政5年(1793)、下北郡大畑の七夕祭として、やはり、「ねぶたも流れよ。豆の葉もとどまれ、苧がら苧がら」と、はやしたと記述されています。こちらは、豆の葉を言葉通り、流していないようです。言葉と異なる植物を流していたら、本草学に詳しい菅江真澄が見逃す筈がありません。
 「苧がら」は、後述に「をがらをがら」と出てきますので、盂蘭盆のとき、迎え火や送り火に焚く麻のことでしょう。流す形代に使ったのでしょうか。しかし、流したくない豆の葉とは、何のことでしょう。豆を忠実や健康と考えるのは、間違いです。流れてしまえば、マメでなくなるのですから、葉っぱでは、困るのです。豆みたいな重い石でなければ、健康を流して去ってしまいます。ここにある木立貞の説ような、一度、聞いただけでは、理解できない、ややこしい話は、民衆には浸透し難いものです。
 合歓の木の葉は夜になると、眠ったように葉をすぼめるという他の植物にない珍しい特徴を持っています。この印象が強過ぎて、眠りを流し去る「木守貞のうんちく」になったようです。大豆の葉と並んで挙げられるように、合歓の木は豆科の植物です。このあと、出て来る「葛」も豆科です。この豆科、豆を実らせる植物を流すのは、痘瘡の病魔を流す習俗なのです。
 「とどまれ」という地域に対して、秋田には、その原形があります。菅江真澄の後述です。「秋田の山里の子供は、麻苧のからをめいめいの年の数に折って、藤豆という野にはえる、葛で巻いて、こん夜一晩枕にして臥し、翌七日の朝、川に流す」とあります。歳の数に折るのは、形代に息を吹き掛けるのと同じで、神様が他の人と間違わないようにする「おまじない」です。その自分に巻きつけるのは、豆科の植物。水疱が豆に似ているからで、豆を作る力を潜めたものです。痘瘡にかかる恐れのある自分、かかって、「あばた」ができた自分の身代わりを作るのです。これを流し去るから、病気にかからないように、かかってしまった人は、「あばた」が取れて美人になれますようにという願になるのです。
 痘瘡は、天然痘とか疱瘡ともいわれるものです。昔は、豌豆瘡(わんずそう)、裳瘡(もかさ)、麻疹(あさもがさ)、いもやみ、いもかさ、いも、等々と言われていました。奈良時代に朝鮮から入ってきて、度々、流行したのです。富山県の布施川の「ニブ流し」、滑川の「ねぶた流し」は、禊祓えですが、飢饉の多かった北国は病魔流しになったようです。飢饉の後には、必ず疫病が流行ったのです。ジェンナーが牛痘接種法を1796年にして、日本で初めて行われたのが文化10年(1813)(青森県むつ市出身の中川五郎治がロシアに6年間拘留されたときに学んだ種痘法で松前の人々に接種した)、津軽藩校「種痘館」ができたのが、文久2年(1862)です。それまで、多くの子供達を失っても、医者は対症療法だけで、それこそ、神様に祈るしかなかったのです。
 えっ、話しは、それで終わりかって?「いやいやいやよ」が気になりますか?
 実は、この呪文と似た言葉がアイヌ語にあるのです。

 Yayeyamno ヤイェヤムノ【副】[yay-eyam-no 自分・を大切にする・(副詞形成)]気をつけて、お大事に。Yayeyamno arpa ヤイェヤムノ アラパ 気をつけて行きなさい。*参考 別れるときに送るほうの人がよく言う言葉の一つ。地域によりまた人によって同じことを yayitupareno arpa ヤイトウパレノ アラパ《気をつけて行きなさい》、apunno arpa アプンノ アラパ《無事に行きなさい》とも言う。{E: take care, look after yourself (leave-taking ).}
 Yayitupareno ヤイトゥパレノ【副】[yayitupare-no 気をつける・(副詞形成)]気をつけて、注意して。Wakka san kor an na yayitupareno ek ワッカ サン コラン ナ ヤイトゥパレノ エク  水が流れているから気をつけて来なさい。(S)*参考 「あぶない所を通るから等、特別なときに言う。出かけようとする人や帰って行こうとする人によく言うyayeyamno arpa ヤイェヤムノ アラパは、ただ『気をつけて行きなさい』『お大事に』と言うだけ」(つまり、挨拶のような軽い言葉)。(S)*参考 同じ日高・胆振地方でも、地域によりまた人によって、出かけようとする人や帰って行こうとする人に「気をつけて行きなさい」「お大事に」というような、いわば挨拶のように、yayitupareno arpa ヤイトゥパレノ アラパ[単]?/yayitupareno paye yan ヤイトゥパレノ パイェ ヤン[複]と言う人もいる。⇒yayitupare ヤイトゥパレ{E: carefully;cautiously.}
 (アイヌ語沙流方言辞典 田村 すず子著 より)

 あれ!と思いますね。アイヌの人が「ネプ流し」をして、「流す何か」を擬人的に見て、「いってらっしゃい」とか「無事に海まで行ってね。」と願って、言葉をかけていたのを、和人が真似をした長い時を経て、菅野真澄の時代に至ったのではと思わせます。
 そして、ついでに、発見がありましたね。「とどまれ」は、「ヤイトゥパレノ」を聞き間違えたのです。聞き誤りであることは、弘前出身の人が子供の頃(昭和前期)「トッツパレ」と囃したと言っていることから、確信が持てます。
 この「豆の葉」の話は、混住の文化だったものが、すっかり、和人の文化になっています。「イヤイヤヨ」や「とどまれ」が、その名残でしょうか。
 「奥民図彙」に登場して比良野貞彦を感心させている木守貞は、藩命による「津軽偏覧日記」(寛政5年、1793)の編者である木立要左衛門守貞のことです。博識の彼ですが、好奇心探究心旺盛で、「知らない」と言うのが嫌いな性格、プライドの持ち主らしく、あの津軽の大燈籠の記述も自分が納得できるように再構築しています。その話は、またに。
 尚、柳田国男(1875―1960)も「眠流し考」として、同様のことについて、述べています。

―略―
 他所では少なくともネブタは合歓木と睡魔とを意味し、マメは又豆と壮健とを意味して居た。其一方を憎んで海川に流さんとし、他の一方の止まって土地に在ることを、念じ願った心持ちはよくわかって居る。それを早速にアイヌ語に持って行かうとする、学問の不自然な態度には、結論を超越して私たちは苦情を唱へなければならぬ。―略―
 (定本・柳田国男集・第13巻)

 氏は、この少し前の文でアイヌ語を蕃語と言っています。他の著作でも言っているので、言い間違いではありません。彼の民族学は皇国史観を基調にしていまして、その功績は認めるにしても、再評価すべきものも多い学者です。
 戦前の話ですが、「日本人は優秀で」と偏狂な民族の誇りを教育しまして、朝鮮を合併したときも、誇りある日本人の仲間入りできるのだから、朝鮮の人は喜んでいると、一般の人は勘違いしたのです。国策で、そういう風に国民は教育されたのですから、仕方ありません。今でも、政治家や政府高官が「日本は単一民族で」と言って、物議を醸しますが、アイヌから文句がくるから問題なのでありません。異なる学説なら、日本は言論自由の国ですから、問題には、なりません。国策によって、間違った民族主義によって、戦争へ、直走ったことへの反省が無いことに繋がるから、社会問題なのです。
 推理小説では、他人を汚い言葉で罵ったり、根拠もないのに、結論を一方向に持っていこうとする人物は、誰かをかばっているか、自身が犯人だったりするものです。横山探偵の目がキラリと光りました。「あやしい。アイヌ語をキーワードに、もう一度、洗ってみよう。」(2010/05/15)